天穂日命神社 (石田社、田中明神)

宇治郡石田村

さて、今回は久々に京都市内の神社です。

でも、すんません。少し前に撮った写真です。今年の1月末ぐらいです。

早く紹介しようと思っていましたが、ついつい伸びて5月になってしまいました。

訪れたのは伏見区にある「天穂日命(あめのほひのみこと)神社」です。ま、伏見と言っても、限りなく山科に近い伏見区です。京都民でもこの辺りのことを山科だと思ってる人は多いでしょう。中京区民なんて、東山の向こうは山科、京都市外って感じですからね。

山科区は昔から道が非常に狭くて田畑の区割りに沿って道があったので、京都市内のような真っ直ぐ碁盤の目になっているところはほぼありませんでした。で、京都の真ん中に住んでるもんにとっては、煩雑でうっとおしいという印象しかないところ、いつも車が渋滞、わざわざ行きたくもないというのが本音でした。でも、今はけっこう道も拡幅が進んで三条通りや五条通り、外環あたりは比較的走りやすくなってきています。山科駅の周りも再開発が進んだので以前のようなゴミゴミした印象は無くなってきました。特に市営地下鉄ができてからは交通の便が良くなって、気軽に行けるようになりました。でも、市バスが走っていないのでちょっと不便。市バスはないのですが、京阪バスが走っています。

んで、私も市営地下鉄で行きましたよ。下車したのは「石田(いしだ)」駅です。

天穂日命神社 No2

平日の午後2時。はっきり言って駅構内はガラガラ。ま、電車の中もガラガラでしたけど...通勤通学以外にはあんまり山科の方に行く人いませんからねぇ。

天穂日命神社 No3

京都の地下鉄は、改札を出た正面にたいていこの周辺地図が掲げられています。これを見ておくと、地上に出た時に自分がどの方向を向いているのかすぐにわかります。

天穂日命神社 No4

出口。外環にでました。

天穂日命神社 No5

ちょっと南に歩くとすぐに「天穂日命神社」です。「石田社」の石柱も見えます。

天穂日命神社 No6

見えてきました。

天穂日命神社 No7

なんかね、看板がいっぱい。この絵は明治の中期に当時の宮司であった「大塚亀若」氏が描いた「天穂日命神社」の全景だそうです。参道や橋も描かれていますね。

天穂日命神社 No8

「天穂日命神社」のご由緒書き。だらだらと文章で書かず、史書などの記述について箇条書きにされています。

天穂日命神社 No9

ここは昔「石田の杜(いわたのもり)」と呼ばれた景色のよい静かな所であったようです。色々な歌集に和歌として読まれています。左は万葉集にある和歌、右は順徳院の和歌が刻まれた石碑です。

天穂日命神社 No10

「天穂日命神社」の石柱。立派な字ですね。

天穂日命神社 No12

こちらは京都市の「天穂日命神社」の案内書き。

結局は「天穂日命神社」の創祀は不明。山城国宇治郡石田村に鎮座する神社で貞観4年6月15日に六位を授与されたという記述が残っているので、平安時代には存在していたものと思われます。「天穂日命神社」自体はもともともっと東の方の街道筋に鎮座していたようで、いつの時代にかこの地に遷移し、「石田の杜」に鎮座していた「田中明神(石田社)」と合祀されたようです。

天穂日命神社 No11

神社の前でグダグダもなんですので、とりあえずお詣りしましょう。

天穂日命神社 No13

鳥居の向こうに参道が続きます。

天穂日命神社 No14

囲いのついている立派な神額です。

天穂日命神社 No15

表の絵にあった橋の名残でしょうか。川は流れていません。

天穂日命神社 No16

参道左手に手水舎があります。

天穂日命神社 No17

で、右側に本殿です。

天穂日命神社 No18

しっかりとした建物の中に本殿が鎮座しています。

天穂日命神社 No19

お詣り、お詣り。

天穂日命神社 No20

一応中は見えるのですが、アクリル板がありますよ。

天穂日命神社 No23

反射してうまく写真が写せません。中の本殿は、京都では珍しい「二間社流造」だそうですが...

天穂日命神社 No21

むう...残念。

天穂日命神社 No22

1月なのでおめでたい絵馬。

さて、境内を徘徊します。

天穂日命神社 No24

本殿向かって右側に「八幡社」です。

天穂日命神社 No25

その少し手前に「天満宮」。

天穂日命神社 No26

「天満宮」は摂社の中でも大きめですね。

天穂日命神社 No27

本殿向かって左側に「春日社」が鎮座しています。

天穂日命神社 No28

そのまた左側に「篭守神社(こもり)」。子供を守る神様で、灯篭に石を捧げて祈願すれば夜泣きが止まるんだそうですよ。(横の灯篭が写ってませんね。がっくし。)

天穂日命神社 No29

その奥に「稲荷社」。

天穂日命神社 No30

「稲荷社」と案内板にありましたが、神額には「大黒大明神」とあります。

天穂日命神社 No31

本殿の前に対面するように立っている建物があるのですが、案内板によると「拝殿」だそうです。

天穂日命神社 No32

白い蛇(龍?)の絵馬が掲げられています。

それともう一ヵ所、参道を通っている時に気になった塚があります。

天穂日命神社 No33

参道の南側にあるこの塚です。

天穂日命神社 No34

どうも「苗塚」のようです。表にあった案内板によると

神社便覧山州名跡

今より千三百余前の白鳳年中、天武天皇の御代のこと。この地に一夜のうちに苗が数尺積み上げられ、その上に白羽の矢が置かれていた。老翁が現れ、この地に天照太神、日吉両社を勧請すべきとし、帝都の南方は永く守護するだろうと告げて去った。その由緒により祀られたのが境内の「苗塚」だという。ここから考えると、かって石田の社には天穂日命神社が鎮座し、老翁のお告げにより祀られた田中神社もあったはずだが、何時の頃かに合祀されたと思われる。

とのことです。

私がここへ来たのは、実は「明智藪」を見に行こうと思っていたからです。駅の周辺地図を見た時に目に入ったので参詣しました。平日の午後ということもあって誰もおらず、外環のすぐそばなのにとても静かでした。「石田の杜」を少し感じられましたよ。

アクセス

  • 京都市営地下鉄「石田」下車、徒歩2分

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