天岩戸神社をめざせ! 元伊勢 皇大神社 編

京都府北部に遠征

ここしばらく良い天気が続きますね。緊急事態宣言も開けたことですし、先の週末は少し遠出をしてきました。で、遊んでばかりなのでBlogの記事をUpする時間が全然取れなくて、今回Upする記事は、先週の、というか先々週(9月)のお出かけのことになってしまいます。

善良なる市民の私は(てへ...)、9月の緊急事態宣言中は府県境をまたぐ外出はしないようにということであったので、京都府内だけの移動にしました。んで、人の多いところや人の多い時間は避けたいので、わざわざ24日(金)に有給休暇を取ってお出かけしましたよ。(いやね、本音を言うと4連休にしたかったんですよ、うはは...)

さて、どこいこか? と京都府内で考えると、南部は新型コロナウィルスの感染者が多いのでやめといて、北の方にした方が得策のようです。地図やインターネットとにらめっこして、以前から気になっていた「天岩戸神社」に行ってみることにしました。

「天岩戸神社」といえば以前、番外編で紹介した宮崎県の高千穂にある御本家が超有名ですが、実は同じ名前の「天岩戸神社」は日本各地に点在しています。で、京都にも「天岩戸神社」が福知山市大江町にあるので、今回はここに行ってみたいと思います。

京都の「天岩戸神社」は「元伊勢内宮」と呼ばれる「皇大神社(こうたいじんじゃ)」の「奥宮」とされるところだそうです。「元伊勢」なんて、ちょっとややこしいですね。本当の「お伊勢さん」にたいして「元伊勢」というぐらいですから、ご本家に負けないぐらいの何かの御由緒があるのでしょう。行く前からワクワクしてしまいます。

加えて、「奥宮」の「天岩戸神社」もちょっとした秘境のようなところだそうで、「ガイドブックに載らない京都」としては、なんとしてでも行かねばなりません。

まずは本宮の「皇大神社」に行きましょう。

9月24日(金) 有給休暇 勝手に4連休 うはは

京都縦貫道を使えば早く行けるのですが、貧乏人の私はR9号線を12年落ちの軽自動車でひた走ります。長田野工業団地の入り口で府道にそれて田舎道をのんびりと走り、大江のすぐ近くでR175号線に出ました。もうすぐ大江の街、もう「皇大神社」とは目と鼻の先まで来ています。宮川の橋の手前で府道9号線にそれて、少し走ると「皇大神社」の看板が目に入ります。

で、駐車場がいくつかあるのですが...一番北の駐車場のみ無料です。砂利の駐車場で舗装はされていないのですが、この駐車場は民営ではなくて「皇大神社」の駐車場です。GoogleMapで「皇大神社駐車場」と表示されている駐車場です。

元伊勢_皇大神社 No2

入り口にこの看板があります。

元伊勢_皇大神社 No3

ここです。さて、車を停めて散策開始です。

元伊勢_皇大神社 No4

この地域(岩戸山)は「京都府歴史的自然環境保全地域」というのに指定されているそうです。

元伊勢_皇大神社 No5

駐車場から南の方に歩きます。どんつきの右が目的地です。金曜日の午前中ですが、だ~れもいません。なんかちょっと寂しい集落ですね。

元伊勢_皇大神社 No6

途中にあった古い案内書き。文章をつらつら見ていくと...なんじゃこりゃ...

「地球終末の時 全人類救済の神として降られました、天ノ御中主大神...月は銀河のイオンを地球に送り、その無形の柱が富士に立っています。...人体には白血球を降しすべての生物に息吹をかける働きの神であり、般若心経、ノストラダムスの予言もこの神から降りました...」

???」です。なんとノストラダムスの大予言も般若心経と同格のようです。「五島勉」もあの世でびっくりしていることでしょう。何が言いたいかさっぱりわからない看板です。新興宗教の勧誘でしょうか。 ちんぷんかんぷん全開です。誰が何のためにこんな看板を書いたのでしょう?

もうすでにここから冥界に突入した感、満載で始まりました。この先どうなるんでしょう? 何が待ち受けているのでしょう? 「皇大神社」ってホンマもん、パッチもん、わけわかりません。なんかそら恐ろしい集落に来てしまったのでしょうか? しかし「皇大神社」とは一体何なんでしょう? むっちゃ心細いですよ。ぞぞぞぞぞ~~~。

元伊勢_皇大神社 No7

道のどんつきに「近畿自然歩道」の標識。ちょっとホッとしました。どっかの魔界に紛れ込んだのではないようです。

元伊勢_皇大神社 No8

右を見ると、おお、「皇大神社」に続く石段です。

元伊勢_皇大神社 No9

石段の手前の看板。なんかめっちゃ古いですよ...また不安になってきました。

元伊勢_皇大神社 No10

もうここまで来てしまったら、登るしかありませんね。小心者の私は小便チビリそうな、ビクビクで恐る恐る登りだしました...

元伊勢_皇大神社 No11

「元伊勢内宮 皇大神社」と刻まれた立派な石標です。

元伊勢_皇大神社 No12

大きな鳥居が迎えてくれます。

元伊勢_皇大神社 No13

し~んと静まり返ってます。 ジワジワジワと蝉の声だけが聞こえています。

元伊勢_皇大神社 No14

石段、続いています...

元伊勢_皇大神社 No15

石段のど真ん中にとてつもなく高い木が生えています。

元伊勢_皇大神社 No16

「麻呂子スギ」と名付けられているようですね。

元伊勢_皇大神社 No17

そらもう立派ですよ。

「麻呂子スギ」とは...

聖徳太子の御弟である「麻呂子親王」が、丹後国与謝郡河守庄三上嶽に棲む英呉、軽足、土熊という3人の凶賊を追討された時に、当社に詣でて御手植えになったのが3本杉といわれています。樹齢千年以上と伝える古木で参道に聳え立っています。もとは3本杉でしたが、落雷等で枯死し、今は1本となっています。   【皇大神社のHPより】

元伊勢_皇大神社 No18

石段横の斜面には湧き水があります。

元伊勢_皇大神社 No19

また大きな切り株がありました。切り株から若木が伸びています。

元伊勢_皇大神社 No20

脇道に「御門(みかど)神社」が鎮座しています。

元伊勢_皇大神社 No21

こちらですね。

元伊勢_皇大神社 No23

すごい立派な屋根が乗ってます。

で、その隣に...

元伊勢_皇大神社 No24

「カネのなる石」だそうです。残念ながら「金の成る石」ではなくて「カネの鳴る石」だそうです。この石を小石で打つとカーンと金属音がします。厄除けを祈りながら打つと厄が祓われるそうです。金運の御利益があるともいわれているそうです。これにあやかりたいですね。

元伊勢_皇大神社 No22

「御門神社」の横の石屈。しめ縄が張られていますね。

元伊勢_皇大神社 No25

古墳のようでもあります。

元伊勢_皇大神社 No26

さて、戻って「皇大神社」を目指しましょう。手水舎まで来ました。

元伊勢_皇大神社 No27

大きな建物があります。絵馬も掲げられているところを見ると、倉庫か何かでしょうか。

元伊勢_皇大神社 No28

本殿前に出てきましたよ。 し~ん。 とてつもなく静かです。 参道の看板にビビッて恐る恐る来ましたが、普通の神社のようですよ。 じゃりじゃりという玉石を踏みしめる音だけが境内に響きます。

元伊勢_皇大神社 No29

ご由緒書きがありました。

元伊勢内宮 皇大神社

(御祭神)天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

(御由緒)
人皇第十代崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に「別に大宮地を求めて鎮め奉れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、皇女豊鍬入姫命御杖代となり給い、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑を出御されたのが、いま(平成二年)を去る二千四十九年の遥かな昔であった。そして、まず最初にはるばると丹波(のちに分国、当地方は丹後となる)へ御遷幸になり、その由緒により当社が創建されたと伝えられている。皇大神は四年ののち倭へおかえりになり、諸所(二十余か所)を経て、五十四年後の人皇第十一代垂仁天皇二十六年に、伊勢の五十鈴川上(いまの伊勢神宮)に永遠に御鎮座になった。
しかし、天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う崇敬者は、引き続いて当社を伊勢神宮の本宮として「元伊勢(内宮)さん」などと呼び親しみ、いまに至るも庶民の篤い信仰が続いている。

とのことで、要約すると、今の「お伊勢さん」が伊勢神宮に鎮座する前にここにいらっしゃったことがあったということだそうです。

なるほど。そういうわけで「元」伊勢と呼ばれるんですね。でも、この記述の出典は何なんでしょうか? むむむ。疑問が残りますが、先を急ぎましょう。

元伊勢_皇大神社 No30

こう見ると身が引き締まる思いです。では参詣させていただきましょう。

元伊勢_皇大神社 No31

黒木(皮の付いたままの杉の木)の鳥居ですね。嵯峨嵐山の「野宮神社」も黒木鳥居でした。

元伊勢_皇大神社 No32

拝殿と本殿です。

元伊勢_皇大神社 No33

大きいです。

元伊勢_皇大神社 No34

立派ですね。

元伊勢_皇大神社 No35

本殿は閉じられています。中はきらびやかな装飾でとても明るい雰囲気です。誰もいない静かな中、厳かにお詣りさせていただきました。

元伊勢_皇大神社 No36

緻密な模様です。これは素晴らしい。

元伊勢_皇大神社 No37

奉納されている絵馬です。

元伊勢_皇大神社 No46

もう一度外側を見てみます。本殿、とても立派です。「元伊勢」と呼ばれるのもわかります。

元伊勢_皇大神社 No47

この重厚感。

元伊勢_皇大神社 No38

本殿横の「龍灯の杉」。樹齢2000年と伝えられるご神木です。節分の夜、丑三つ時になると、この木の梢に龍王が龍宮から天照皇大神に神灯を捧げるという伝説があるそうです。

元伊勢_皇大神社 No39

樹齢2000年と言われるのもわかりますね。

元伊勢_皇大神社 No40

向かって左側にある脇宮。

元伊勢_皇大神社 No41

「栲機千々姫神社(たくはたちぢひめじんじゃ)」とあります。高天原から降臨した「瓊瓊杵尊(天照皇大神の孫)」の母神だそうです。織物の神様として信仰されているそうです。

元伊勢_皇大神社 No42

向かって右側の脇宮です。。

元伊勢_皇大神社 No43

「天手力雄神社(あめのたぢからおじんじゃ)」とあります。天照皇大神が天岩屋にお隠れになった時、戸を開いて皇大神を連れ出した大力の神様です。

元伊勢_皇大神社 No44

境内には83の小社が祀られています。すごい数です。

元伊勢_皇大神社 No45

けっこう広い境内なんですけども誰もいません。いい時に来ましたよ。

元伊勢_皇大神社 No48

巨木がたくさんあります。太古の時代には一面原生林だったと思われます。

元伊勢_皇大神社 No49

「御若叡(みわかえ)の森の御庭」。昭和天皇御在位60年を記念してこの御庭を造園したそうです。

元伊勢_皇大神社 No50

君が代に出てくる「さざれ石」。

元伊勢_皇大神社 No51

今度は本殿に向かって右側の方を見てみます。

元伊勢_皇大神社 No52

「天皇神道」とあります。

元伊勢_皇大神社 No53

「岩長姫命社」とあります。

元伊勢_皇大神社 No54

「和泉式部」の歌碑です。

大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立

まさにここですよね。

元伊勢_皇大神社 No55

その後ろには「へそ塚」があります。へその緒をおさめて、長寿と健康を祈ったそうです。

元伊勢_皇大神社 No56

「天龍八岐龍神社」と看板が出てます。行ってみましょう。

元伊勢_皇大神社 No57

境内から少し降りてきたところに池?と小祠があります。

元伊勢_皇大神社 No58

「天龍八岐龍神社」です。こうして写真を見るとすんごい場所に鎮座してますね。自然の驚異の真っただ中という感じです。

元伊勢_皇大神社 No59

見上げると境内の小宮がずらっと並んでいて壮観です。

元伊勢_皇大神社 No60

すんごいねじれて朽ち果てた大木。生前はぐるぐるとねじれた木だったと思われます。

元伊勢_皇大神社 No61

さて、「皇大神社」の境内はほぼ見尽くしました。今度はこの建物の右奥の方向です。

元伊勢_皇大神社 No62

「天の岩戸参道」とありますね。 やっと出てきました! ここからが本番です。

元伊勢_皇大神社 No63

さあさあ、目的の「天岩戸神社」へ行こうではありませんか! いざたまへ!

ここまで読んでくれたあなた。長くて、もう疲れたでしょう。一回切りますね。後編というか本編で目的の「天岩戸神社」に突撃です。

「天岩戸神社攻略編」に続く

アクセス

  • 京都縦貫道「舞鶴大江IC」より車で20分程度

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