最後の文人画家 富岡鉄斎
今日は京都御苑(御所)の近くにある「富岡鉄斎邸跡」を訪ねます。
ご存知のように、京都市内の中心部は、ほぼ碁盤の目のような東西と南北の道で構成されています。昔からそうであったので、人間や馬、牛車なら十分通れる道幅なのですが、現代交通のメインとなっている自動車からすると、少し狭い道が多くあります。
「御所」のある「烏丸通り」から一本西側の「室町通り」です。見ての通り細い道なので、自動車は一方通行です。
今出川から下ってくると、東の方に御所の「乾御門」が見えます。
まだ未舗装の小路もありますよ。昔、路地の多くはこんな感じでした。
斜交い(はすかい:斜めになっていること)になって、ずれているところもあって、近代都市とはなかなか考えられない道なのですが、これも京都らしさなんですね。
そうこうしているうちに「富岡鉄斎邸跡」に来ましたよ。
新しい石票が建てられていますね。「鉄斎」は「鐡齋」という難しい漢字なんですね。これは書けませんわ。
この家そのものが「富岡鉄斎邸跡」だそうです。実際にご本人が住まわれていた邸宅です。こんなことを言っては怒られるかもしれませんが、京都市内ならどこにでもありそうな普通の家に見えてしまいます。
残念ながら、現在は一般公開されていません。「富岡鉄斎」は「最後の文人画家」と呼ばれた明治、大正期の儒学者であり、この邸宅には煎茶小川流宗家ゆかりの煎茶室や鉄斎が1万点以上の作品を制作したという画室があります。是非とも公開していただきたいですね。
駒札がありますが、ちょっと消えかかっていて読みにくいです。鉄斎は明治15年(1882年)から大正13年(1924年)までここで暮らしました。
この「富岡鉄斎邸」跡は、現在「元府議会議員公舎」という位置づけで、文化施設として保護を進める予定ですが、耐震不足もあるので「サウンディング型市場調査」という方法で、民間事業者等と意見交換をする「対話」を実施し、幅広い活用を視野に入れ、土地及び建物の有効活用を模索している最中です。
この結果がどのようになっていくのかとても興味が湧くのですが、一般公開できるようにしていただきたいですね。
私は「駒井家住宅」のような、当時そのままの姿での保存が良いです。
アクセス
- 京都市バス「烏丸一条」下車、徒歩4分