実は古墳がいっぱいの亀岡市
昨日は亀岡市千歳町の「千歳車塚古墳」を紹介しましたが、今日は「千歳車塚古墳」から北西に約1.5㎞程のところにある馬路町の「坊主塚古墳」を紹介します。
「千歳車塚古墳」から府道405号線を北に向かうとハスの花で有名な「平の沢池」に出ます。
そこから西に向かうのですが、西に向かう府道25号線ではなく一本北側の旧道を西に向かいます。この旧道が府道25号線と合流する少し手前に「坊主塚古墳」があります。府道を走っていると、たぶんわからなくて行き過ぎてしまいます。
この旧道から北に向かう砂利道に面して「坊主塚古墳」があります。
ここもね、なんか田んぼの真ん中にポツっとあるんですよ。こんもりとした墳丘が。この道のもう少し先に一軒の家があるんですね。この道は生活道路なんですね。古墳の横を通って幹線道路に出ていくなんて、ちょっとしゃれていますね。
「坊主塚古墳」は昭和31年と平成10年に調査が行われ、1辺が38mの二段墳丘で、周りには2重の周濠があり、その1辺が65~67mあったことがわかりました。
ああ古墳だな、とわかりやすいですよね。上の画像の左部分(南辺)から「円筒埴輪」と共に「形象埴輪」や「器材埴輪」がたくさん出土し、当時はこの部分に「造出」があり、古墳祭祀や権威継承儀礼が行われていたようです。
「坊主塚古墳」の説明板です。周濠の東南からは全国で2例目となる僻邪(へきじゃ)の埴輪である「盾持人形埴輪」が出土しています。
この主体部からは朱塗りの「組合式木棺」と「仿製神獣鏡」「三角板鋲留短甲」「横矧板鋲留衝角付冑」「頸冑」「肩甲」「篭手」「草摺」などの甲冑や鉄刀、鉄剣が副葬品として出土しています。このことより被葬者は古墳時代中期の武人的な地域首長であったと考えられています。
上の画像で右側に少し写っているのが「天神塚古墳」の竹藪です。こちらは未調査なので何もわかっていません。
「坊主塚古墳」の南側には廃寺跡が確認されていますので、「坊主塚」と呼ばれているのも納得できます。
この2つの古墳の北側の丘陵地には円墳27基からなる群集墳である「池尻古墳群」があります。そして「千歳車塚古墳」から通ってきた府道405号線の左右の農地には「時塚遺跡」が発掘されていますし、「出雲大神宮」の近くには「出雲遺跡」が発掘されています。どちらも農地なので埋め戻されていますが、このあたり一帯が弥生時代中期後半には大規模な集落であったことがわかっています。
現代ではほぼ農地となってしまって、所々で古墳の墳丘が顔を出しているような状況ですが、古代には人が多く住んで栄えた場所だったんですね。「出雲大神宮」の辺りから亀岡盆地を見下ろすと、ちょっと当時を思い浮かべることができるような風景ですよ。
アクセス
- 京都縦貫道「千代川IC」より、車で15分