昔は京都の玄関口
夕暮れ時の鴨川は「三条大橋」。
ちょっと交通は混んでますけど、一日の終わりが近づいていい感じの景色です。
サラリーマンたちは家路に急ぐか、ちょっと一杯ひっかけて…というリラックスタイムですね。
少し雲が出ていますが、夕方になると一時期のような蒸し暑さもなく、けっこう過ごしやすくなってきました。
お店の灯りや街路灯が点き出す時間です。
通りの向こう側には有名な「土下座」。
上の画像の右から左に向かってAからD。
外人A「これなんや?」
外人B「なんか書いてあるけど日本語分らんし。」
外人C「これ、土下座っちゅうやつちゃうか。なんか昔YouTubeでコンビニの店長がやらされとったで。」
外人D「とりあえず写真撮っとこ。」
みたいな感じですかね…
外人さんはさすがに「高山彦九郎」なんて知らんやろし。
ま、それはさておき、今日の主題は「駅伝発祥の地」です。
「三条大橋」の東詰め北側にけっこう新しいモニュメントがあります。それが「駅伝発祥の地」のモニュメントです。
ご存知の方も多いと思いますが「駅伝」という競技はは日本が元祖。それも、ここ三条大橋が一番最初の駅伝の出発点です。正式名称は「駅伝競走」といいます。
日本最初の「駅伝競争」は,大正6年(1917年)4月27日から3日間にわたり開催された「奠都五十周年記念大博覧会 東海道駅伝徒歩競争」です。その競争区間は,ここ、「京都・三条大橋」~「東京・上野不忍池」の博覧会正面玄関までの516km(508kmと書かれたものが多いですが正確には516kmだそうです)を,23区間に分けたものでした。
東軍と西軍の2チームに分かれて昼夜を問わず走りぬき、結果は1時間以上の差をつけて東軍が勝ってます。この駅伝という競技がが評判となり、3年後の大正9ねん(1920年)には「第1回箱根駅伝」が開催されました。
駅伝は「継飛脚」がもととなって考案された競技ですが、3日間にわたって争うなんて、走る方は当然として、大会運営に当たる人々の体力はすごいものだったんですね。
「三条大橋」といえば、東海道五十三次でも有名ですし、いろいろなモニュメントや石票が立っていたりと周囲を見て回ると面白いところですよ。
少し離れて撮った「三条大橋」です。京都の日常、静かな夕暮れです。
アクセス
- 京都市バス「三条京阪」下車、すぐ