八瀬 ラジオ塔 大正時代のレジャーランド

昔ここには京都水族館もびっくりの一大レジャーランドがあった

以前のBlogにも少しだけ登場しましたが、「ラジオ塔」ってご存知でしょうか。

「ラジオ塔」っと聞くと、「ラジオ放送を行っている塔」つまり電波を出しているタワーのようなものを想像される方が多いと思います。

でも、実際は逆。ラジオの電波を受信する「塔」でした。

この「ラジオ塔」と言われるラジオ電波の受信設備は、京都市内にも数ヵ所残っています。といっても受信設備の中心となるラジオはもうすでにありませんので、正確には「塔」が残っているだけです。

今回訪れたのは、京都のはずれ、八瀬にある「八瀬もみじの小径」に残っている「ラジオ塔」です。現在、「八瀬」というと「ケーブルカー」に乗って、比叡山に登る玄関口であるとともに、この「八瀬もみじの小径」に代表されるような京都の紅葉スポットとしての顔しか残っていません。最近では「瑠璃光院」がインスタで世界的に有名になり、紅葉シーズンはもとより、青もみじの季節であっても、連休などには外人さんを含め長蛇の列ができるほどになってます。

八瀬_ラジオ塔 No2

叡山電車、叡山本線の終点駅「八瀬比叡山口」を下車すると、「高野川」が流れています。高野川を渡って「八瀬もみじの小径」を目指します。

八瀬_ラジオ塔 No3

「八瀬もみじの小径」の入り口です。ちょうど紅葉の時期でしたので、きれいな赤を見ることができました。

八瀬_ラジオ塔 No4

「八瀬もみじの小径」に入るとすぐに見えてきます。

八瀬_ラジオ塔 No5

なんとまあ、斜面の真ん中にポツンと...なんでまた、こんな人気のないところの斜面にポツンと...

八瀬_ラジオ塔 No6

これが「ラジオ塔」です。「JOOK」の文字が見えるでしょうか。この「JOOK」というのはコールサイン(呼び出し符号)と言われるもので、放送局には一つ一つ異なったコールサインが割り当てられています。ちなみに「JOOK」はNHKの京都第一放送のコールサインです。つまり、他の局を選曲することなく京都第一放送を流していたのでしょう。

八瀬_ラジオ塔 No8

「ラジオ塔」の説明書きがあります。「ラジオ塔」は正式には「公衆聴取施設」というそうです。大正14年に始まったラジオ放送でしたが、当時ラジオは高級品でなかなか買えなかったので、共同でラジオを聴こうということになり全国に「ラジオ塔」が建てられました。この説明書きによりますと、昭和16年(1941年)には全国で460基もの「ラジオ塔」が設置されていたそうです。

八瀬_ラジオ塔 No7

現在では、こんな町はずれ(八瀬の人たちごめんなさい)の公園に「ラジオ塔」が建てられていたというのは、とても不思議な感じがすると思います。今の若い人たちがこれを見ると、誰がこんなところでラジオを聞いていたの?と思うでしょう。

でも、実は八瀬には昔「八瀬遊園」という遊園地があって、このあたりが多くの親子連れでにぎわっていた時期もあるんです。最初の遊園地は大正14年(1925年)年12月、「京都電燈株式会社」の附帯事業として開設されました。約3万坪の広さがあり、一流料亭の支店や京都初の25mプール、ローラースケート場、動物園、水族館、植物園などがあるという、今の八瀬からは考えられないような近代的な遊園地だったようです。なんと、京都のこんな山の中に水族館ですよ。それも昭和の初めという戦前に。この「ラジオ塔」も遊園地の中の一つの設備だったのではないでしょうか。

ところが、昭和10年(1935年)6月に洪水の被害にあったため、「高野川」を挟んで旧遊園地と向かい合う形の「新八瀬遊園」が昭和39年(1964年)10月に完成します。そして、八瀬からケーブルカーで登る「比叡山頂遊園」と合わせて複合的な施設となり、開園当初は年間20万人が訪れていたと言うのですから、京都市内では指折りの行楽地でした。私も幼少のころはここを訪れて、プールで泳いでいた記憶が残っています。

そんな「八瀬遊園」も次々と開業するレジャーランドの波に押されて入場者が減少し、「八瀬遊園」⇒「スポーツバレー京都」⇒「森のゆうえんち」とリニューアルを繰り返しますが低迷は続き、平成13年(2001年)11月30日に閉園しました。跡地にはリゾートトラストの大規模な会員制ホテル「エクシブ京都八瀬離宮」が開業しており、かつての「八瀬遊園」の面影はありません。旧遊園の方は、開発から逃れて「八瀬もみじの小径」等になっているので、「ラジオ塔」も現代まで生き残ることができたようです。

アクセス

  • 叡山電車「八瀬比叡山口」下車、徒歩5分

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする