阿多古祀符 火迺要慎
京都で火除けの神様と言えば「愛宕さん」が有名です。「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた「愛宕神社」の火伏札は、一般家庭の台所から、飲食店の厨房まで、いたるところに貼られています。その「愛宕神社」といえば、京都市右京区にある「愛宕山」山頂の「愛宕神社」を指しますね。「愛宕神社」は全国で約900社あるそうです。つまり愛宕山にある「愛宕神社」は全国の愛宕神社の総本山と言ったところでしょうか。
その京都の「愛宕神社」のもととなった元祖「愛宕神社」が京都府亀岡市にあります。こちらの愛宕神社は「本宮 愛宕神社」「元愛宕神社」とも呼ばれ、社伝にも現在の愛宕神社の元であると記されています。
で、その「本宮 愛宕神社」の社伝によると創祀は神代にさかのぼり、背後にある「牛松山」を神籬(ひもろぎ)として祀っていたのだそうです。そして継体天皇元年(507年)に社殿が創建されました。その後、当社の分霊が京都「鷹ヶ峰」に祀られた後、「和気清麻呂(わけのきよまろ)」により「嵯峨山」に遷され、これが現在の「愛宕山」の「愛宕神社」になったと記されています。
こちらの「愛宕神社」は、『延喜式』神名帳には丹波国桑田郡の「阿多古神社」として式内社の記載があります。
ご祭神は、「火産霊神 (ほむすびのかみ:軻遇突智神:かぐつちのかみ)」、「伊邪那美神(いざなみのみこと)」、「大国主神(おおくにぬしのみこと)」の三柱です。
では「本宮 愛宕神社」へ行きます。私が訪れたのは平成30年の年の瀬も迫る12月26日。年末なので、家の掃除や正月の用意もしなければいけなかったのですが、それはそれ、これはこれで、朝から家を出て一路「牛松山」のふもとを目指します。
「本宮 愛宕神社」へは、散歩を兼ねて「和らぎの道」から歩きます。「和らぎの道」にある駐車場に車を止めてゆっくりと歩くこと10分ほどで「本宮 愛宕神社」の前に出ます。
山麓にある神社で、10分ほどしか歩いてないのに奥深い山の中に入ったような印象です。神社近くまで来るまで上がってきて駐車場に車を止めることもできます。
「本宮 愛宕神社」と刻まれた立派な石碑ですね。
鳥居がなんともどっしりとしていて安定感があります。
「愛宕神社」の説明書きです。画像からは読みにくいので文章に起こしておきますね。
愛宕神社(阿多古神社)
眼下に保津川を見据える整美な山、牛松山を神奈備として千歳町国分に伊弉冉尊(いざなみのみこと)と火産霊神 (ほむすびのかみ 軻遇突智神:かぐつちのかみ)と大国主神(大己貴命 おおなむちのみこと)の三神を祭神として鎮座する愛宕神社は、社伝等によると、継体天皇即位元年(五〇七)の創祀と伝え、平安時代に編纂された『延喜式』神名帳にも記載された古社です。
なお、愛宕神社の御分霊が全国各地に祀られていますが、当社の御分霊が、天武天皇のころに京都の鷹峯に勧請され、大宝年中(七〇一~七〇四)に、役小角(えんのおづぬ 役行者)と僧秦澄(たいちょう)が拓いた手向山(愛宕山朝日嶽)に遷され、天応元年(七八一)に和気清麿(わけのきよまろ)と慶俊僧都(けいしゅんそうず)が社殿を造営遷m宮したと伝えます。さらに、愛宕神社の祭神の本地仏(ほんちぶつ)が勝軍地蔵であることから、疫神や厄災を防ぐと共に、その名が示す「勝軍」の縁起を担いで、中世には広く武士にも信仰され、各地の中世城館や城下町にも祀られました。
火伏せの神として、家々の台所など火を使う場所には、「阿多古祀符 火迺要慎」のお札が貼られ、まち角の愛宕灯籠に灯明をあげる「火とぼし」の姿も各所で連綿と受け継がれ、その崇敬の様は、「伊瀬へ七度、熊野へ三度、愛宕へは月参り」と言われるほどです。今も、四月二四日の鎮火災には、愛宕講をはじめ多くの方が参詣に訪れます。
現本殿は、鎌倉時代に造営された市内最古の木造建造物で、一間社流造、檜皮葺、豕扠首(いのこさす)の妻飾(つまかざり)に、大面を取って反りを持たせた垂木や太い木割の材を簡素で力強く架構させる古様式を色濃く残していることから、国の重要文化財に指定されています。
境内です。「愛宕山」の「愛宕神社」ほど大きくありません。でも、とても静かで落ち着きます。
なんか、時代を感じさせられますね。この苔の蒸しかた。
本殿ですが、とっても面白いつくりになっていますね。柱の間が抜けており、その間に装飾のような柱や板が渡されています。
拝殿です。
本殿の斜め前から。亀岡市内最古の木造建築です。
本殿におみくじがありました。一応、吉、大吉なども書かれていますが、歌から運勢を読み取るという本格的なおみくじですよ。学が無いと正しい解釈ができません。
戸が開けられていました。
しっかりとお詣りできますね。
境内の御神木
山腹の神社なのですが、大きな御神木が何本もあります。
「大スギ」です。一番目立ってますね。災害などで途中から折れているのですが、存在感はばっちりですよ。
「大スギ」の駒札ですが、ちょっと読みづらいです。
「大スギ」の元にも神様が祀られています。
こちらは「イヌマキ」です。
この駒札も読みにくいですね。
これは「モミ」の木です。
全然読めません。
御神木のほかに、摂社、末社がたくさん鎮座されているのですが、一つだけ紹介しましょう。
手水鉢の横に何があるのかと思ってみてみると、可愛い牛が2頭いますね。
牛と言えば、当然「天満宮」ですね。
また、昔のポンプ車が残されています。
骨董品級ですね。火伏せの神様なので、あまり出番はなかったと思うのですが、備えあれば憂いなしですね。
小さいのですが、滝もあります。さて、そろそろ「和らぎの道」に戻りましょうか。
「愛宕神社」の前の「和らぎの道」にある休憩所です。亀岡市内が見渡せますよ。
「和らぎの道」を歩いていて見つけました。年末だというのに、まだ紅葉したもみじの葉っぱが残っていました。
「愛宕山」の「愛宕神社」の神職に言わせると、「正式な記録がない」ので、「本宮 愛宕神社」が現在の愛宕神社の元であるとは言えないそうですが、私はこちらの「本宮 愛宕神社」が元祖であってほしいような気がします。その方が、なんかロマンがあっていいじゃないですか。歴史家からすると、確固とした証拠がないといけないのでしょうけど、ロマンのある神話の世界の方が私には合っています。
アクセス
- 京都縦貫道「亀岡IC」より車で20分