何もかも いつかは消えていく
京都市内にはキリスト教に関する史跡がいろいろ残っています。でも、弾圧を受けたので「~跡」というような石碑や地名が少し残る程度です。
堀川今出川近くの、「慶長天主堂跡」の石碑を訪ねました。
場所は油小路と元誓願寺通りの交差点です。
Webで検索すると、フェンスの中に立っている画像が多いですが、現在は建物が立て替えられて路面に露出しています。もともとは中央図書出版社の土地だったらしいのですが、平成26年(2014年)に破産してしまい、現在はマンションとなってます。
石碑と駒札が立っているだけで何もありません。
この付近には、慶長9年(1604年)頃に復興されたヤソ会の天主堂教会がありました。
京都でのキリスト教は、織田信長の時代には保護されて、南蛮寺も建てられました。
しかし、豊臣秀吉が天正15年(1587年)伴天連追放令を発して弾圧します。
秀吉の死後、関ヶ原合戦で徳川幕府が成立すると、再びキリスト教布教が自由となり、この地に新しい天主堂教会が復興されました。南蛮寺よりはるかに美しい建物が建てられ、学校も設けられたそうです。
しかし慶長17年(1612年)、徳川幕府はキリスト教の弾圧を開始、天主堂も焼き払われてしまいます。慶長天主堂が存在したのは、十年もありませんでした。
京都のいろいろな史跡を回っていますが、「華やかな京の都」はごく一部で、どこへ行っても合戦の跡や疫病災害の趾、血塗られた殺戮や弾圧の跡の方が多いような気がします。
人間とはつくづく残酷なものです。
アクセス
- 京都市バス「堀川今出川」下車、徒歩3分