動かせないもの
今日は京都市南区の「兒水不動明王堂」です。「兒水」は「ちごのみず」とか「ちごすい」とも読まれるようですが、地元の人は「ちごふどう」と呼んでるようです。で、「兒」の字も「児」が使われることもあります。
もともとここは「大通寺(だいつうじ)」というお寺の境内であったようで、そのころから名水で「兒ノ水」として知られていました。この「大通寺」は鎌倉幕府、3代将軍「源実朝」の妻である「西八条禅尼(信子)」が、亡夫の菩提を弔うために「遍照心院万祥山大通寺」として建立したお寺です。そして「源経基」を祀る「六孫王社」を鎮守社としました。江戸時代の元禄年間には塔頭も多数建立されて、東は大宮通り、西は朱雀通り、南は八条通り、北は塩小路通りまでのとても広大な寺地を所有していました。
ところが、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、「六孫王神社」は「大通寺」より分れ、その後の「上知令」により徐々に衰退します。1912年、「大通寺」境内への国鉄東海道線敷設工事に伴って、お寺の建物、庭園は破却となり、九条大宮を下ったところに移転しました。
しかし、「兒水」は残り、「兒水不動明王堂」として現在も信仰を集めます。
では、行ってみましょう。
ここは「六孫王神社」東の入り口である「壬生通り」です。上の画像の様に「JR東海道本線」と「JR東海道新幹線」でどん突きになり、道は右に曲がっています。
この「壬生通り」はJRの向こう側(北側)では「壬生川通り」という名前です。
その「壬生通り」の北のどん突きが「兒水不動明王堂」です。見えてきましたね。
「JR東海道新幹線」の高架を超えて、「JR東海道本線(京都線)」のすぐ手前です。
「大界外相(たいかいげそう)」の石柱がありますね。もし、この石柱が移動されていなかったのならば、ここから北側が「大通寺」の境内だったようです。不浄な人間界と聖域を分ける結界石ですね。
古い木に「兒水不動明」と書かれています。地域信仰の歴史というか重みを感じさせますね。
お不動さんは一段低いところに鎮座しています。
お詣りしましょう。眼病に霊験があるとのことです。
献花の花もみずみずしく、手入れも行き届いています。
こちらが「兒水不動明王」です。
こんな感じで隠れています。
横にある手押しポンプ。昔はこれで水をくみ上げたのでしょうね。
現在、JR東海道本線や山陰本線が走っている敷地には、昔からの神社仏閣がたくさんありました。多くが移転となったのですが、「井」は移転ができないので現在もその地で信仰が続きます。
アクセス
- 京都市バス「六孫王神社前」下車3徒歩分