貴船神社は有名ですが...
今回は「貴船神社」です。「あ~、行ったことあるわ。」というあなた。「そんなん、ガイドブックに載ってるやんけ。」というあなた。
それは「貴船神社」です。
そんでもって、上の「貴船神社」と、下の「貴船神社」の漢字の違いを見比べたあなた。
どっちも同じです。
なんのこっちゃ...
ということで、今回は「貴船神社」なんですけど、本家本元の「貴船神社」ではなくて、上賀茂にある「柊野貴船神社」に行きましょう。
上賀茂の「柊野(ひらぎの)」にある神社なのですが、本家本元と同じ「貴船神社」という名前なんですよ。
その他に、京都で「貴船神社」といえば「深泥池貴舩神社」なんかもあります。
さて、とりあえず行ってみましょうか。
上賀茂神社の北の端から、まだまだ北に向かってどんどんと歩いていきます。住宅地が続きます。
山がすぐそこに近づいてきました。
山の近くには、まだ田んぼや畑がたくさん残っています。
見えてきましたよ、壱の鳥居。
突如、立派な鳥居が建っています。
石票は「貴船神社」ですね。
ささ、ずいずいと進んでお詣りさせていただきましょう。
弐の鳥居です。弐の鳥居の所で参道が少し曲がっています。
「柊野貴船神社」の駒札です。割合と新しいですよ。
もう少し進みましょう。広場に出ます。
このあたりは「歴史的風土特別保存地区」に指定されています。
史跡、旧跡によくある漢字でびっしりと書かれた石碑。確か明治時代に建てられたものが多いはずです。
こちらは「貴船神社」の石碑です。
広場に端には参の鳥居があります。
鳥居前にも石碑がありますね。
参の鳥居の後ろにやっと本殿が見えます。
参の鳥居の脇に小さな祠があります。これは「天斑駒(あまのふちこま)社」です。「天斑駒」は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」が「忌服屋(いみはたや)」に皮をはいで投げ込んだ馬の名前です。「天岩戸隠れ」の直接の原因となった出来事なのですが、尻の方から逆さに皮をはがれたという、とてもかわいそうな馬です。
手水舎があります。
「柊野貴船神社」の絵馬です。昨年訪れましたので、干支は猪ですね。
拝殿です。ちょっと柱が細いような気がするのですが...大丈夫なんでしょうかね。
「立砂」があります。さすが上賀茂。
歴史ある神社なので奉納されている絵馬も古かったりします。
こちらも古いですね。
これは「柊野貴船神社」のご由緒書きです。
柊野貴船神社由緒
一、由緒並びに御神徳
當神社の御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)、闇龗神(くらおかみのかみ)と申し上げ俗に云う龍神であって御鎮座年代は詳かではないが 古から鞍馬の貴船に鎮座せられる貴船神社の御分靈を柊野の農民によって勧請奉斎したものである、 一説には寛文参年(二八七年前)貴船本宮より御分靈奉斎とあるが由来貴船の神様は雨水を司る神であり農耕の守護神であるから 古く豊葦原瑞穂國と云われた農耕中心時代から開けてゐた當地の住民がこの神様を信仰していた事は當然であって その結果此の地の氏神として奉斎するに至ったのであろう。
上述の如く貴船の大神は雨水を司る神であるから祈雨祈請の祈願に著しき靈験を示された事は その例枚挙に遑なく農業生産の守護神として全國的に信仰厚く又司水の神であるから醸造業、 航海業等守護の護神徳高きのみならず、地上生物は悉く水によって生成発育してゐるのであるから農作物始め地上生物は悉くこの神の護神恩を蒙ってゐるのである。
さて、本殿です。御神灯の提灯がとても大きいですね。ちょっと怖い感じがしますよ。
巨大です。
ささ、お詣りを。
こちらは「高龗神(たかおかみのかみ)」が祀られています。
「高龗神」は雨(すなわち水)の神様です。
こちらは「闇龗神(くらおかみのかみ)」が祀られています。「闇龗神」も雨を司る神様です。「高龗神」と「闇龗神」は対になって信仰されていることが多いようです。
「柊野貴船神社」は寛文3年(1663年)に本家本元の「貴船神社」から分詞されたそうです。でも、この辺りは長きにわたって上賀茂神社の神領であって農業の盛んな所でした。なので古くから雨や農耕を司る神に対する信仰は住民の生活に深く根付いていたものと思われます。
本殿前から見た静かな境内。
実は高提灯には上賀茂神社の新紋である「二葉葵」が描かれています。
装飾具にも「二葉葵」。
詳しくはわかりませんが何かの記念の石碑がありました。
さて、ポチポチと歩いてもう少し上賀茂を散策していきましょうかねぇ。なんせ北山通りから北側にはあまり来る機会がないので。
アクセス
- 京都市バス「柊野」、「志久呂橋」、「ゴルフ場前」下車、どのバス停からでも徒歩約10分