商売繁盛
竹中稲荷神社は吉田神社の末社です。吉田神社の境内ではなく、吉田山の上の方にあります。お稲荷さんなので、「商売繁盛」の御神徳を授かれます。
いつごろからあるのかなどのご由緒は不明なのですが、「在原業平」がこの近くに居を構えていたとの記述が残っていますので、天長年間(830年ごろ)にはもう既に存在していました。
吉田神社の創建が貞観元年(西暦859年)なので、竹中稲荷神社の方が古いことになります。
御祭神は、宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)猿田彦神(さるたひこのかみ)天鈿女神(あめのうずめのかみ)です。
夕方の参詣
私は夕方、仕事が終わってから白川通りの方から行きましたので、「後一條天皇 菩提樹院陵」の横の坂を上がりました。
短いのですがけっこう急な坂です。「吉田山荘」の北側の道です。
右大文字もよく見えます。
坂の頂上が入口です。道の反対側は「宗忠神社」です。鳥居の参詣道が続きます。
200mぐらい鳥居が続く道です。
桜の木がたくさんあって、ちょっと隠れた桜スポットです。季節になればまた紹介したいと思います。
やっと境内です。
手前左手に手水鉢があります。今は使われていませんが「延宝七己未年」と彫られています。1679年ですので300数十年前のものですね。 大石 内蔵助(1659年〜1703年)や、市川 団十郎(1660年〜1704年)の頃です。
拝殿です。両脇に狐さんがにらみを利かせてます。
鋭い眼光を放ってます。
胴体から下は妙にリアリティーがあります。
手書きの狛札が立ってます。
本殿です。ちょうど明かりがつく時間です。
お隣には天満宮があります。天満宮ですので「菅原道真」公をお祀りしています。
お隣には末社があります。ここからが始まりです。
え? なんの始まり?
では、見ていきましょう。
末社は多くが「竹」の文字が使われている神社です。
石碑のようになっていたり、石そのものがご神体になっていたりといろいろあるようです。
反対側(本殿の西側)にも、末社の石柱があります。
竹藤神社です。
なぜか、石柱も矢代もありません。鳥居だけです。
竹光神社です。
こちらは、石柱がありますね。
竹光大明神とあります。
ここまでが、本殿の周りにある末社です。さて、さて...
奥の院に向かって
こっからが本番です。
本殿の一番右側に奥に続く通路がありますので、行ってみます。
本殿の横を通るのですが、ここにもご神体の石柱がいっぱい立ってます。
まだまだ、あります。
ずっと、続いてます。
辺り一面、数えきれないぐらい鎮座されています。明かりがついているのがわかりますか。けっこう暗くなってきているんですよ。写真は補正で明るく写しているので昼間のようですが、もうすでに日は没しています。
そらまぁ、びっくりしますよ。これだけたくさん鎮座されているとは思いも及びません。日本には八百万(やおよろず)の神様がいらっしゃるというのも、うなずけます。
昔は、とっても栄えた神社だったと思われます。「商売繁盛」間違いなし。
「白龍大神」ご由緒などは書かれていないので詳しいことは不明です。
そして、一番奥にある「竹劔稲荷神社」です。
最初、竹中稲荷神社に来ていたころは、その奥に続く通路の存在を知らなかったので、その奥にある「竹劔稲荷神社」の存在も知りませんでした。
鳥居の前に、狐さんが載せられているであろう石の台があるのですが、台だけで、狐さんは見当たりません。
御神体が見えます。自営業ではないので、「商売繁盛」ではないですが、職場の安泰を願ってお詣りしました。
そして、「薬力大明神」です。
伏見稲荷大社にも「薬力社」がありますが、こちらは「薬力大明神」です。上の画像で、鳥居の右の柱の後方に、石柱が数本見えますが、「業平塚」です。詳しく見たかったんですが、実は、もう足元がだいぶんと暗くなっていて、そろそろ帰らないといけない時間です。
竹中稲荷神社は「吉田神社」の末社です。住宅街のすぐ横なのですが、山奥に来たような感覚になる神社です。吉田神社にお参りの折りには、こちらもお参りされてみてはいかがでしょうか。
アクセス
- 京都市バス「京大正門前」下車、徒歩15分
- 京都市バス「錦林車庫」下車、徒歩15分