浄福寺 赤門寺

初訪問

仕事以外でも京都市バスに乗ることが多いです。でも乗る路線はだいたい同じところばかりです。「今出川通り」を203号系統に乗って走ることがあるのですが、途中で「今出川浄福寺」というバス停があります。

「浄福寺」という名前のお寺は京都にも複数あるので、「今出川にある浄福寺に近いバス停」という風に思い込んでいたのですが、これが間違いで「今出川通りと浄福寺通りの交差点にあるバス停」という解釈が正解のようです。

「浄福寺」は、「浄福寺通り」と通りの名前になっているお寺ですが、生まれてこの方、いまだに訪れたことがありません。(京都民が京都市内のすべてのお寺を廻っているかというとそんなことはありませんし、すべてのお寺を知っているかというとそんなこともありません。)

前々から気にはなっていたのですが、ちょっと行ってみるか...と重い腰を上げました。

浄福寺 No2

京都市バスで「浄福寺」に行くには、今出川通りの「今出川浄福寺」で下車して南に歩くのが一番近いのですが、私は用事があったので「浄福寺通り」を南の方から歩いてきました。上の画像で少し坂になっているところが見えますが、坂の上の所が「浄福寺」です。

浄福寺 No3

山門には立派な鬼瓦が見えます。

浄福寺 No4

やって来ました「浄福寺」の山門です。天気予報では今日は一日曇天です。写真の色がさえませんが、山門は朱塗りの門で「赤門」と呼ばれています。

浄福寺 No5

駒札があるのですが、だいぶんと古くなっています。

 恵照山と号し、浄土宗に属する。一つには村雲寺ともいう。はじめ天台宗で延暦寺年中(七八二~八○二)、賢憬大僧都の開創と伝えられ、当時二十五大寺の一つに数えられていた。たびたび火災にあい、建治二年(一二七六)後宇多天皇の命によって一条村雲に再建、ついで室町時代末の大永五年(一五二五)後柏原天皇より念仏三昧堂の勅号を賜って浄土宗を兼ねるようになり、のち知恩院に属した。この地に移転したのは元和元年(一六一五)のことで現堂宇は享保十八年(一七三三)の再建になるものである。
本堂には本尊阿弥陀如来像を安置し、釈迦堂は三国伝来と伝える釈迦仏を安置する。寺宝には、二十五菩薩来迎図(鎌倉時代、重要文化財)二幅、土佐光信筆十王像(室町時代、重要文化財)十幅などがある。
また境内にの墓地には、光格天皇皇女霊妙心院はじめ著名な公卿、殿上人の墓が多い。

浄福寺 No7

ここまで近づくと「朱」が良くわかりますね。

浄福寺 No6

山門北側にある浄福寺塔頭の「護法大権現」の屋根です。瓦の「護」の文字がすごいです。

浄福寺 No8

ちょっとお詣りしていきましょう。

浄福寺 No11

すごい狛犬です。

浄福寺 No9

「護法大権現」の変額です。

浄福寺 No10

権現さんなんですね。

浄福寺 No12

西に向かって通路が伸びています。本堂の方に来ましょう。

浄福寺 No13

通路の途中にある「宝蔵」です。

浄福寺 No14

扁額があるのですが、私には「法突荘」にしか見えません...なんでしょかね。

浄福寺 No15

まず最初の建物は「釈迦堂」です。端正な造りですね。

浄福寺 No16

今日は法要が営まれているようです。

浄福寺 No17

この扁額も読めません。「輝尊」? やっぱり違うなぁ...

浄福寺 No18

漆喰の白が印象的です。

浄福寺 No21

日曜日のお昼前、法要に来られている方々以外には参拝の方もなく、読経の声だけが響く静かな境内です。

浄福寺 No19

「浄福寺」に説明書きがありました。

浄福寺 No20

横から見た本堂です。二つの建物がつながったような外観です。画像では右の方につながっているのですが、ちょっと木やほかの建物で見にくいですね。

浄福寺 No24

正面から見た本堂です。

浄福寺 No26

規制があって大きな建物を建てることが禁止されていたので、二つの建物をくっつけたような形にして中に大きな部屋ができるようにしたそうです。

浄福寺 No22

大きなお地蔵さんがありました。

浄福寺 No23

その横に「鐘楼」があるのですが、倒壊の危険があるのか近寄れないようにしてあります。とても古いし、柱もか細く、地震や台風が来たらちょっと怖いですね。

浄福寺 No27

境内の一番西には墓地があります。

浄福寺 No28

手水舎に井戸がありますよ。石のふたがされていますが、真ん中に穴が開いてます。中、見えるかな?

浄福寺 No29

う~ん、深すぎてピンと合いません。 残念。

浄福寺 No25

墓地の手前にあるのは「引摂地蔵堂」です。

浄福寺 No30

中には「浄土引接地蔵」が安置されています。

浄福寺 No31

南門の横に神社があります。

浄福寺 No38

お尻を高く上げた狛犬。

浄福寺 No39

躍動感がありますね。

浄福寺 No32

拝殿の前です。

浄福寺 No33

御神灯には「稲荷大明(神) 辨(才天)」と見えますね。

浄福寺 No34

正面に鎮座しているこちらが「辨才天」だと思われます。

浄福寺 No36

で、向かって左側にはキツネさんが祀られているので「稲荷大明神」でしょう。

浄福寺 No35

向かって右側のこちらは不明です。御神灯の右側の方に書かれていたかもしれませんね。よく見てくればよかった...

浄福寺 No37

南側の土塀です。古い土塀で漆喰がはがれてしまってます。

浄福寺 No40

「南門」です。こちらは赤くないですが立派な門です。

浄福寺 No41

「浄福寺参道」の石票があります。

浄福寺 No42

「一条通り」から見るとこんな感じです。

「浄福寺」の歴史を見てみると、延暦年間に「賢憬(けんけい)」が葛野郡村雲に堂宇を建立して以来、今日に至るまでなんども火災で焼失しています。そのたびには復興して現在に至っているという歴史の長いお寺です。経済的な負担を考えると、信仰の篤い檀家さんたちが頑張ってきたんだと思います。

京都に生まれて50数年の私ですが、生れて初めて「浄福寺」を訪れました。まだまだ訪れていない神社仏閣はたくさんあるので、ぼちぼちと訪れてみたいです。

アクセス

  • 京都市バス「今出川浄福寺」下車、徒歩5分

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