山の神様
前回に引き続き「霊仙ヶ岳」⇒「法貴山城跡」⇒「明智戻り岩」と廻った時の記事です。
「明智戻り岩」のあるR423から「法貴谷ハイキングコース」が「法貴谷川」沿いにあります。でも、何回も書いている通り、現在は3年前の台風のときに土砂崩れが起こって、完全に元には戻っていません。
増水時や降雨後は危険なので通らない方が得策と思われます。
今回紹介する「国狭槌(くにさづち)神社」は、「法貴」の集落から「法貴谷ハイキングコース」に入ってすぐの所なので、そちらから訪れる方が良いでしょう。ただし駐車場はありませんし道は細いので地域の方々の迷惑がかからないように配慮をお願いします。
私は「明智戻り岩」の方から「法貴谷川」に沿って降りてきました。
「法貴谷ハイキングコース」に面して「国狭槌神社」が鎮座しています。前の石垣はハイキングコースと平行に積まれているのですが、石段を昇ったところで参道はわずかに右に傾きますね。この微妙な角度、絶妙な印象です。鳥居や神社の前面に合わせて、ただただ真っ直ぐにするのではなく、ほんの少し曲がったかな?曲がってないかな?という絶妙な角度に奥ゆかしさを感じてしまいます。(『普通の人』からするとちょっと変ですけど、私にとっては感性をくすぐられる感じがします。何ゴチャゴチャぬかしとるんやこのアホは...ぐらいで読み飛ばしてもらって結構です。)
ほんでもって、この石碑。「国狭槌神社」と堂々と刻まれているのですが、その上のてっぺんがセンターよりもちょっと右寄り。おお、これですよ。この自然な感じ。
国狭槌神社
摂津と丹波を結ぶ摂丹街道の峠の麓に鎮座する国狭槌神社は、野山をつかさどる大神の一人である国狭槌命を祭神としてお祀りしています。「古事記」によると神代七世の中の神で大山津月神と野槌神の御子として生まれた八神の内の一神として記載され、古くは「八王子さん」とも呼ばれていました。
当地は、六甲山脈から妙見山へと連なる花崗岩の産出地で、古くより石工の仕事にたずさわる人が多いことから、野山の神である国狭槌命をお祀りしたのではないでしょうか。このようなことから、一月十五日の例祭には、氏子を始めとして多くの土木建築に関わる人々の参詣でにぎわいます。
社伝によると、明智光秀が当社に武運長久、戦勝祈願をしたところ、大願成就したので本殿を再興したとも言われています。
おお、でました。『麒麟がくる』です。「光秀公」です。
何かとってつけたような最後の文が光り輝いていますよ。「光秀公」は丹波平定のときに「戻り岩」まで来て、笑路城の城主「長沢重綱」と対面しているので、その道中にあった「国狭槌神社」に参詣するのはごく自然の成り行きでしょうし、丹波平定のために「戦勝祈願」するのも当然のこと。ほんでもって最終的には丹波平定を成し遂げているので「大願成就」してますね。最後の「再興」は資料が無く不明ですけども。
ま、そんなことはさておき、お詣りさせていただきましょう。
右手に手水舎。
苔むした感じが良いですね。
山の中といえ明るくてとてもきれいに手入れがなされています。
近づくと思っていたよりも大きいです。
「国狭槌神社」の神額です。
榊が供えられていますね。集落から近いので氏子さんたちが良く来ているのでしょう。
私は「法貴山城跡」から怪我することもなく降りて来られたことに対する感謝とお礼を祈ります。
境内には大きな石が点在します。
それぞれ何かのいわれがあるのでしょう。
境内の少し山手の方にもう一つ摂社が鎮座しています。
何も書かれていなかったので何の神様か不明ですが、こちらは比較的新しい祠ですね。
「光秀公が再興した!」とかいう資料があれば、『麒麟がくる』に乗っかって観光客が来たかもしれませんが、残念ながら大河ドラマとは全然関係なく終わってしまいました。逆に言えば静かなまま終わって荒れることもなかったのでよかったのでしょう。
ほんとに今回の山登りは山の神様にとっても助けられた道中でしたよ。
アクセス
- 京阪京都交通「法貴口」バス停より、徒歩15分程度