勝龍寺城跡(長岡京市) 『麒麟がくる』

久しぶりに『麒麟がくる』

もう話題に上る事もなくなった『麒麟がくる』。

すでに2年がたつんですよね。関連する史跡なんかを巡ってとても楽しかったです。

ほんで、当時、一回行ってみたかったところに寄ってみました。ゴールデンウィークとその少し前に長岡京市に用事があって「長岡天神」や「神足神社」を巡ったのですが、ここ「勝龍寺城跡」にも寄ってます。あまり時間が無かったのでじっくりとは見られませんでしたが、前々からBlogに載せたいと思っていたので好都合でした。

「勝龍寺城」ってあまり有名ではないお城なんですけど、光秀公とは深い縁があります。なので、「明智藪」を紹介する前に訪れたかったのですが、なんせ無精者の私の事、なかなか重い腰が上がりませんでした。

私は「長岡天神駅」の方から歩いてきたので、北西方向にある入り口から入りました。

勝龍寺城跡 No2

これは城跡の北側のお堀。キリシマツツジがきれいに咲いています。

勝龍寺城跡 No3

南側が正式な入り口なので、こちらの北側はこじんまりとしています。

勝龍寺城跡 No4

土塀もきれいに復元されていますね。

勝龍寺城跡 No5

「勝龍寺城跡」は「勝龍寺城公園」として長岡京市が管理しています。

勝龍寺城跡 No6

お天気のいい休日なんですけど、ほぼ人がいません。あまり有名ではないですからねぇ。『麒麟がくる』のころはそこそこ来訪者があったと聞いています。なんせ光秀公は山崎の戦いで敗れた後、「勝龍寺城」を出発して「明智藪」で命を落とすことになったのですから史的価値も高いお城ですよね。

勝龍寺城跡 No7

キリシマツツジ。赤が少々つぶれてますね。急いでいたので色温度の確認をあまりしてませんでした。

勝龍寺城跡 No8

園内はきれいに整備されています。とても気持ちのいいところです。

勝龍寺城跡 No9

おお、いきなり井戸跡ではありませんか。

勝龍寺城跡 No10

本丸の井戸跡だそうです。このあたりは水気の多い土地なので発掘調査中も水が湧きだしていたそうです。

勝龍寺城跡 No12

本丸の北東端にある土塁と石段。当時も櫓があって城外の監視や攻撃をするために活用されていたとのことです。

勝龍寺城跡 No11

説明書きがあります。

勝龍寺城跡 No14

東側の土塁と塀。手入れが行き届いてますね。

勝龍寺城跡 No13

説明書きです。

勝龍寺城跡 No15

「細川忠興・玉(がラシャ)像」 「勝龍寺城」は明智光秀の娘である「玉」が「細川忠興」に輿入れして新婚時代に住んでいたお城でもあります。

勝龍寺城跡 No16

こちらは管理棟です。中で資料展示などされています。でも、今回は時間が全然ないので素通りですよ。残念ですが仕方ありません。

勝龍寺城跡 No17

管理棟の西側から一旦城外に出ましょう。 青もみじがきれいです。

勝龍寺城跡 No18

「勝龍寺城公園」の西南の出入り口です。

勝龍寺城跡 No19

こうして見るとなかなか立派でカッコイイ管理棟になってますね。

勝龍寺城跡 No20

で、お堀に沿って東の方に少し歩くと...

勝龍寺城跡 No21

南側の正門です。

勝龍寺城跡 No22

ここがホントの入り口ですよ。

勝龍寺城跡 No23

本丸跡の説明書き。安土城よりも早く瓦・石垣・天守を供えた近代的なお城だったそうです。

勝龍寺城跡 No24

なかなか凝った作りになってます。ちょっと感激です。

勝龍寺城跡 No25

な、なかなかのもんでしょ。Webで見てる時は「公園」って書いてあったので、もっと憩いの場メインの公園かと思ってましたけど、史跡としてのアピールの方が勝ってますね。もっと早く来たらよかった...

勝龍寺城跡 No26

お堀の南東端です。ホントに訪れる人がいませんね。どうなってるんだろ。

勝龍寺城跡 No27

北東端まで来ました。京都近郊にこんな立派な城跡があったとはちょっとびっくりです。長岡京市、あなどれませんなぁ。今回はささーっと通り抜けただけでしたが、次回はもう少し時間を作って管理棟の中の資料なども見てみたいです。

おお、用事の時間までぎりぎりになってしまいました。先を急ぎましょう。レッツゴー。

アクセス

  • JR東海道線「長岡京駅」下車、徒歩10分

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