ほんまは21日やけど...
天正10年6月2日、光秀公は京都本能寺に討ち入りし、主君であった信長公を討伐した。
ほんまは1582年6月21日やし、6月2日とは違うんやけどまあいいか。
午前4時ごろには本能寺を包囲し、午前8時ごろには片が付いたとのことなので、これを書いている今が引き上げの時間でしょうか。
では、ダイジェストですが、凱旋の光秀公をご覧ください。
(実は5月3日の『亀岡光秀まつり』の様子です。)
先頭は例によって『明智かめまる』君です。
けっこう知られるようになったかな。昔はメロンやとか言われてたけど...
『亀岡光秀まつり』の本隊です。
まずは地元「亀高(亀岡高校)」のブラスバンド部です。
で、毎回頑張ってグレードアップ中の「手づくり甲冑隊」。段々規模が大きくなってるような気がします。
「南つつじ太鼓」。だんだんと盛り上がってきました。
「光秀武者行列」の本隊です。
コロナ禍とはいえ、けっこうな規模の武者行列ですよ。
「ききょう紋」の幟に続くのは...
お祀りの目玉「明智光秀公」です。南郷公園にある光秀像は華奢で頼りない感じですが、光秀まつりの光秀公は毎回恰幅の良い方ですね。
今年は「明智秀満」も恰幅がよろしいようで。
家臣の「斎藤利三」。
「清尾庄兵衛」
正室の「熙子」さん。
娘の「玉子(後の細川がラシャ)」
最後に「南つつじ太鼓」で締めくくりです。
ということで、今年の『亀岡光秀まつり』の様子をお伝えしました。今回はお祭りを見に行く目的で行ったのではなくて、亀岡駅で時間待ちとなったため急遽写真を撮りに行きました。ぎりぎり武者行列に間に合ったのですが、コーナーの内側からという最悪の場所からなのであまり良い写真が撮れてません。せっかく天気良かったのになぁ。大失敗。
来年はちゃんと計画しよ。