広大だった「二条殿」の庭園
先日は、「両替町通り」にある「此附近 二条殿址」の石碑を訪れました。
でも、もう一つ「二条殿址」の石碑があるんです。
場所は、「室町通り」なので、「両替町通り」の一本西側です。どちらも同じ「二条殿址」なのですが、こちらが「和歌、連歌で有名な二条良基(にじょう よしもと )の邸宅」であり、先日の「二条殿址」は「織田信長が正親町(おおぎまち)天皇皇太子東宮誠仁(さねひと)親王に献上した二条御所」です。
どちらもほぼ同じ場所なので大きな違いはありません。「二条殿」の庭園はとても広大な広さであったそうです。なので、先日の「二条殿址」には「此附近」と但し書きが付いてましたね。
では、2つ目の「二条殿址」に行ってみましょう。
「御池通り」の室町角にある「室町通り」の案内板です。
「御池通り」から見た「室町通り」です。ここも何のことはない小さな通りですね。
最初は、「二条通り」から「御池通り」へと、北から南に向かって下ってきたので、発見できませんでした。上の画像のように見えます。この中に「二条殿址」の石碑があるのがわかりますか。
こんなふうに通り過ぎて、「御池通り」まで行ってしまいました。で、もう一回「御池通り」から「二条通り」に向かって上がって(北上して)行くとやっと発見しましたよ。
勘弁してください。チャリンコのカバーで見えませんでしたよ。まあ、何と庶民的な風景でしょうか。二条良基も、後世、自分の邸宅跡がこんな住宅街になるとは思いもよらなかったでしょうね。
「二条殿」には「龍躍池(りゅうやくち)」という名前のとってもきれいな池があったそうです。天正10年(1582年)の「本能寺の変」で、小田信忠の軍勢500はこの「二条殿」で包囲されて明智光秀の軍勢1万3千と戦うのですが、当然勝てるわけもなく、この場所で自害し、「二条殿」は消失してしまいます。
二条殿の庭園はとても広大で、その姿はとても美しく、「龍躍池」は島が点々と浮かぶ池で高さ五尺ほどの滝もあったことが知られています。焼失してしまったことはとっても残念です。現在、京都の大通りである「御池通り」の「御池」はこの「龍躍池」からきていると言われています。
アクセス
- 京都市バス「烏丸御池」下車、徒歩4分
- 京都市営地下鉄「烏丸御池」下車、徒歩4分