寺町筋
今日は、「革堂行願寺」を紹介します。このお寺は、創建から数えきれないぐらいの回数、焼失しています。そのたびに復興しているのは、やはりご利益があるからでしょう。戦後も荒廃していましたが、20年ほど前から徐々にきれいになってきてます。
「寺町通り」は文字通り、お寺がいっぱいある通りです。昔は「東京極通り」と呼ばれたそうですが、太閤豊臣秀吉の寺社整理で、多くのお寺がこの通り沿いに移転しました。そして後世「寺町通り」と屋ばれるようになります。その「寺町通り」を丸太町から少し下がると「革堂行願寺」があります。ちょうど、「竹屋町通り」のどん突きです。
「竹屋町通り」をまっすぐ東へ走っていると、「行願寺」に入ってしまいますので、進入禁止の標識がありますね。入口の山門は少し狭いです。
ここ「行願寺」は「西国三十三所観音霊場 第十九番札所」として有名です。
宗派は「天台宗」です。
ご由緒書きの駒札です。
「西国三十三所」も粋な幟になってますね。
「一条かうだう」の石碑です。
「一条? うそこけ、竹屋町やんけ?」と言われそうですが、「行願寺」はもともと、「一条小川」の辺りにあったそうです。元々の地には、今でも革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残っています。度々の災禍で寺地を転々として、文化12年(1815年)にこの地に落ち着きました。
山門からすぐ目の前が本堂というこじんまりとしたお寺です。
お寺自体は重厚な印象で存在感が大きいです。
まずは、お清めしましょう。
本堂の前の「香炉」にも、「革堂」の字があります。
本堂前の石碑です。
本堂の前から撮りました。
本堂内は撮影禁止なので、このあたりから、チラッ、
チラッと中の様子を。堂内には「行円上人」作と伝える本尊「千手観音像」を安置しています。「千手観音像」は非公開で、公開は毎年1月17・18日の初観音の日だけです。京都市の指定文化財にもなっています。
平安時代中期に「行願寺」を建立した「行円上人」は九州の出身の僧です。若いころは狩人で、雌鹿を射止めたときに、その腹から小鹿が生まれたのを見て発心し仏門に入ったそうです。日ごろ鹿の皮をまとっていたことから「革聖(かわひじり)」とも「皮仙」とも呼ばれていました。そして、「行願寺」は「革堂」と呼ばれるようになります。
幽霊絵馬
宝物館には、8月22日~24日の3日間に行われる「幽霊絵馬供養」の際にしか拝観できないのですが、「幽霊絵馬」という珍しい絵馬があります。
「幽霊絵馬」には、子どもを背負った若い女性が描かれているそうです。絶対に見てみたいですね。
この「幽霊絵馬」の由縁ですが、文化13年(1816年)に竹屋町柳馬場で質屋を営んでいた八左衛門に13歳で奉公に出さた「文(ふみ)」という少女の両親(江州草津の百姓・和兵衛)が奉納したものだそうです。
「ふみ」は働き者で、革堂で子守の子供をよく遊ばせていました。そのうちに御詠歌「花を見て今は望みの革堂の庭の千草も盛りなるらん」を自然に憶え、口ずさむようになります。ある時、ふみが御詠歌を子どもに教えているのを見た熱心な法華信者の八左衛門は、怒りに狂い、彼女を折檻し凍死させてしまいます。そして家の庭に埋め、彼女の両親には男と出奔したと嘘をつきました。少女の親は、娘の行方を捜しましたが行方は知れませんでした。八左衛門の話に納得できない「ふみ」の両親は、革堂の千手観音像に娘の無事を祈ります。ある時、夢に娘の亡霊が現れました。「ふみ」の亡霊は、「主人に殺され庭に埋められています、鏡を一緒に埋めてください。」と告げます。鏡とは奉公に行く際に母親からもらった大切な遺愛品の手鏡のことです。両親はそのお告げに従い、質屋の庭の納屋に埋められていた娘の亡骸を探し当てたそうです。八左衛門は捕らえられ処刑されました。両親は、娘を葬った後、「ふみ」の子守りをしている姿を絵馬に描いて手鏡と一緒に寺に奉納し、成仏を祈願したとのことです。
なんとも悲しい話ですね。「幽霊絵馬」には、この手鏡がはめ込まれているそうです。
境内
庫裏の屋根が素晴らしいです。
とっても躍動感あるデザインで、また、瓦が素敵です。
とても立派な造りです。
力強さが感じられます。
こんなに立派なのは、この建物だけです。
逆光で見えにくいですね。
西日の時に写真を撮るときれいに映りそうですね。また、チャレンジしてみます。
「鎮宅霊符神堂」です。「衆星守護をつかさどる神」とされる「鎮宅霊符神像」が祀られています。
「天道大日如来」と「延命地蔵菩薩」も祀られています。
境内にはお地蔵さんなどもあり、昔から町衆に愛されていたお寺だとわかります。
「百体地蔵尊」です。
ほんとにたくさんのお地蔵さんが祀られています。
古そうなもの、欠けているものもあり、歴史が感じられます。
「加茂大明神石塔」です。
すごく大きいです。「加茂大明神石塔」は高さが3mほどあり、鎌倉時代のものと考えられています。ちょっと見にくいですが、水輪の方形の穴に「不動明王石仏」が安置されています。
「都七福神めぐり」の長寿・福徳を授ける「寿老人」をお祀りしています。京都では室町時代に、民間信仰として七福神信仰が始まったといわれています。「都七福神めぐり」は京都で一番古い七福神めぐりです。
「都七福神めぐり」の「寿老人神堂」です。安土・桃山時代のものだそうです。ご本尊の「寿老神」のご真言を、一日三回唱えると「福寿吉運」が授かるといわれています。現在、ご本尊は宝物館に安置されており、分身が堂内に祀られています。
七福神が勢ぞろい。縁起がいいですね。
「梵鐘」です。
「梵鐘」の横にもお地蔵さんが何体もあります。
「愛染堂」です。
中には「愛染明王像」が安置されています。「愛染明王」は、仏と人との間にあり,愛によって両者を結ぶと考えられる明王だとか、愛欲の煩悩がそのまま悟りにつながることを示す明王だとかいわれます。これはご利益がありそうですね。
寺町通りにこじんまりとある「革堂」ですが、見どころも多く、京都らしさを味わえるお寺です。ぜひ訪れてみてください。
アクセス
- 京都市バス「河原町丸太町」下車、徒歩5分