御所の南
吉益東洞(よしますとうどう)が住んでいた東洞院通りに宅跡の石碑があります。吉益東洞という人を知っているのは、よっぽど医学史に造詣が深い人か、漢方学を習った方でしょう。
私も全然知りません。
ちょっと調べてみると、安芸(広島県)出身で元文3年(1738年)に京都に移り、古方派(江戸時代に起こった漢方の流派)の医者となった人らしいです。
「万病一毒説」を唱え、すべての病気はひとつの毒に由来するものだとして、この毒を制するために、強い作用をもつ峻剤(水銀、黒鉛、辰砂等を使った強力な作用の薬だそうです)を用いる攻撃的な治療を行いました。これは当時の医学界を驚愕させたのですが、しかし世間一般に受け入れられるわけでななく、生計が苦しく人形造りをして暮らしていたそうです。
44歳で偶然のことから「山脇東洋(日本で初めて人体解剖をし日本医学の近代化に大きく貢献した)」と会ってその才能を認められ、東洋の推挙で世に出てその名を知られるようになりました。47歳のときに東洞院に移転し、「東洞」の号はこのときから名乗るようになりました。「吉益東洞宅跡」の石碑は、この東洞院の居宅跡です。
「吉益東洞宅跡」の石碑を訪れます。
現在は「竹間公園」という大きな公園となっています。
グランド横の花壇のところに「吉益東洞宅跡」の石碑と竹間公園の解説書きがあります。
「名医」と書かれていますね。
私が映りこんでしまいました。
東洞も自宅跡が公園になって子供たちが楽しそうに遊ぶ場所になるとは思わなかったでしょう。
公園は「京都市子育て支援総合センター こどもみらい館」につながっています。「こどもみらい館」の南側には幼稚園もあります。にぎやかでいいですね。
お地蔵さんもありますね。京都市内のお地蔵さんは、絶えずお花が供えられているところが多いです。地域の皆さんがお世話を欠かさずに続けられています。
お地蔵さんは「延命地蔵尊」です。
京都市内でも、少子高齢化が進んでいて、小学校が減っていたりするのですが、この竹間公園は「こどもみらい館」があることなどからも、また近所に遊ぶところがないことからも、けっこう子供の姿が多い公園です。
京都市内には、何気ないお地蔵さんや、石碑が街のあちこちにあります。地図に載ってないものも多いのでウロウロすると発見がいろいろとあります。
アクセス
- 京都市バス「烏丸御池」下車、徒歩3分
- 京都市営地下鉄「烏丸御池」下車、徒歩3分