なんといっても足腰のご利益を授かりたい
というのが本音です。地元民の間では「いのしし神社」と呼ばれる護王神社には、境内いたるところにイノシシが祀られています。足腰にご利益があるのでお詣りしてきました。
フィギュアスケートの高橋大輔選手が足のケガをしたときに、護王神社の絵馬を持っていた映像が流れて有名になりました。
道鏡
和気清麻呂とイノシシの関係ですが、これは弓削道鏡という怪僧が発端となります。病を患った孝謙上皇(後の称徳天皇)の傍に侍して密教の祈祷や看病をして上皇に取り入り、道鏡はその寵を受けてスピード出世します。道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人が「道鏡を皇位につかせれば天下泰平となる」という宇佐八幡宮の神託を奏上し、道鏡は自ら皇位に就くことを望みます。
称徳天皇は側近の尼僧・和気広虫を召そうとしましたが、虚弱な広虫は長旅は堪えられぬとして、弟である和気清麻呂が宇佐八幡宮の神託を確認するよう派遣されました。清麻呂公はご神託が偽物であったことを報告します。清麻呂公は身を挺して道鏡の野望をくじきました。(宇佐八幡宮神託事件)
怒った道鏡は清麻呂公の足の腱を切り、大隅国(鹿児島県)への流罪とします。さらに刺客に清麻呂公を襲わせます。足の腱を切られ、立つこともできなくなった清麻呂公ですが、皇室を守った神に感謝するため、宇佐八幡宮へ立ち寄ることにします。清麻呂公が豊前国に至ると、三百頭ものイノシシが現れて輿を囲み、道鏡の刺客たちから守りながら道案内したのです。清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えると、イノシシたちはどこかへ去り、清麻呂公の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていました。
この逸話から、足腰の御利益がいわれイノシシが祀られるようになりました。
護王神社
左にある石碑がとても立派です。和気清麻呂公の肖像入りですね。
鳥居の前で守るのは、狛犬ならぬ狛イノシシ。躍動感にあふれています。
この狛イノシシだけでも足腰にご利益がありそうです。
この大きなお守りを見るだけでも、ご利益を感じられます。
御千度車を回して、祈願します。
門を入って右手に手水舎があるのですが、お約束通りイノシシです。このイノシシは「幸運の霊猪」といって、鼻をなでると幸せが訪れます。ぜひ鼻をさすってあげてください。
拝殿です。横を通って本殿へ。
先に、お断りしておきます。
工事中でした、本殿… ちょっと残念。
平成の御修造ということで平成29年11月19日の本殿遷座祭までは仮本殿でお詣りします。
こちらの仮本殿でお詣りします。
では境内を見てみましょう。
拝殿前の狛イノシシです。明治時代に、清麻呂公の社殿には狛犬ではなく、狛イノシシだということで、雌雄一対の狛イノシシが建てられました。
6月に訪れましたので、夏越しの大祓に向けた茅の輪が設けられていました。作法にのっとり、左、右、左とくぐってお詣りします。
和気清麻呂公の銅像です。平成10年の和気清麻呂公千二百年祭を記念して建てられました。
私が思っていたよりも学者さん風です。
本殿前の招魂樹(おがたまのき)の根本には、「願かけ猪」の石像があります。その周りには座立亥串(くらたていぐし)という、願かけの串がたくさん刺し立ててあります。護王神社独特の信仰で、自分の名前と願い事を書いた紙札をはさんで、「願かけ猪」の前に刺し立てて願かけをするという風習です。
「日本一のさざれ石」です。「君が代」に出てくるさざれ石です。「さざれ石の巌になりて」のさざれ石です。
このさざれ石は日本一大きなさざれ石です。その大きさは幅3メートル、高さ2メートルでありまさに大きな巌です。大小さまざまな大きさの石が集まって巌となっています。我々日本人はこの巌のように力を結集できる民族でありたいですね。
こちらは「針の碑」です。毎年事始めの2月8日に針供養祭が行われます。コンニャクに針を刺して供養します。現役時代には固いものに糸を通していた針を、使命を全うしてからは柔らかいコンニャクに刺して労わろうということらしいです。
このほか、「足萎難儀回復の碑」、上京区の区民の誇りの木にも選定された「護王の大イチョウ」、御神木の「ぜんそく封じのカリンの木」、全国から奉納された「いのししコレクション」、チェーンソーで彫られた木像「飛翔親子猪」、「久邇宮御霊殿」,「 警察消防招魂社」など見どころ満載の神社です。
最後になりましたが、足腰の御利益のほどは...朝、起きるときの腰の痛みがましになってきましたよ。鰯の頭も信心からではありませんが、信じることはとても大切だと思っています。
アクセス
- 京都市バス「下長者町」下車、すぐ
- 京都市バス「烏丸丸太町」下車、徒歩3分
- 京都市営地下鉄「丸太町」下車、徒歩3分