京都と水力発電
京都で「ダム」と訪ねると、一番に出てくるのが宇治の「天ケ瀬ダム」です。小学校の遠足や社会見学などで、「平等院」等と一緒に見に行きます。
でも、京都市内の中にもダムがあるんです。京都市内にわざわざ作っているからには当然ながら水力発電が目的です。
ダムといっても、そんなに大掛かりなものではないのですが、建設当時から現在でも現役で稼働中です。
そのダムというのは「夷川ダム」で水力発電所は「関西電力夷川発電所」です。京都市内なので、こちらも当然の如く琵琶湖疎水を利用しています。
ダムがあるのは「冷泉通り」沿いの鴨東運河。平安神宮の西側の方です。
第一琵琶湖疎水が完成したのち、京都市内では近代化がどんどん進んで、それにつれ電力需要もうなぎ上りに増加します。そこで明治45年(1912年)第二琵琶湖疎水を建設し、大正3年から「夷川発電所」の運転を開始しています。現在は関西電力の発電所です。
「夷川発電所」の入り口です。
「京都市上下水道局疎水事務所」と入り口は同じです。
下流の橋の上から見ています。夷川ダムです。けっこうこじんまりしたダムです。水路式のダムで、有効落差は3.42m、常時280kwの発電をしています。この落差でも発電できるんですね。
「夷川発電所」の建物です。平成23年(2001年)に「琵琶湖疏水の発電施設群」として、「蹴上発電所」、「墨染(すみぞめ)発電所」とともに土木学会選奨土木遺産に認定されています。
当然中には入れません。平成4年(1992年)から翌年にかけて、水車や発電機を最新式の国産のものと取り換える設備の更新工事が行われています。大正3年の建設時には、イギリス、ボービング社製の4連フランシス水車およびアメリカ、ウェスティングハウス社製の三相同期発電機を使用していたのですが、この更新工事までずっと現役で発電を続けていたんだそうですよ。
明治から大正時代のレンガ造りの建物です。蹴上のインクラインにある「旧九条山浄水場原水ポンプ室(御所水道ポンプ室)」もそうですが、何とも言えない美しさがあります。
立派な説明書きが建てられています。
むかしはこちら側が入り口だったのでしょうか。
「ダム」の方からみています。ここのダム湖(湖ではないかもしれませんけど。)は「夷川舟溜」と呼ばれています。昔は水泳場として使われていたんですよ。毎年春に運航する「岡崎さくら・わかば回廊十石舟めぐり」の船の折り返し場所でもあります。
実はこの「冷泉通り」沿いはけっこう桜がきれいな場所でもあるんです。観光の方は平安神宮辺りでの観桜が多いので、このあたりは穴場でもあります。
さて最後になりましたが、なんで「夷川」なのでしょうか。
発電所横の通りは「冷泉通り」で「夷川通り」はここからだいぶんと東に行って、鴨川の西側にあります。実は昭和10年の洪水の前には鴨川に橋が架かっていて「夷川通り」は、「夷川発電所」のある「冷泉通り」とつながっていました。そして、平安の昔から「夷川通り」は「冷泉家」があったので「冷泉小路」と呼ばれていたんですね。近代になって「夷川通り」と呼称を変えました。橋のあった当時は市の中心部の方から見ると、「夷川通りにある発電所」という感覚で「夷川発電所」と名付けたのではないでしょうか。
アクセス
- 京都市バス「丸太町京阪前」下車、徒5歩分
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