桑原町 誰も住まない厄除けの聖地

 地震雷火事親父

世間ではたいへん恐ろしいもの、人間の手に負えないものをこう呼んでます。

そのどうすることもできない「雷さん」にまつわる地名の話です。

どうしても手に負えない災厄に対しては、昔から「くわばら、くわばら」と唱えますよね。特に雷が鳴ると唱えることが多いです。

その、「くわばら」に行ってきました。

くわばら の語源

「くわばら」の語源は諸説ありますが、やはり京都では菅原道真公にまつわる話が一般的です。

学問の神様として有名な菅原道真。今も受験前には道真公ゆかりの北野天満宮は受験生であふれかえります。道真公は幼い頃から神童とよばれ、文武両道に秀でていていました。最終的には従二位右大臣まで上り詰めます。しかし、道真公の出世を嫉んだ藤原時平が、時の天皇である醍醐天皇に根も葉もない悪い噂を吹き込み、道真公は都から九州の大宰府へと左遷されてしまいます。道真公は悔しさのあまり大宰府で憤死してしまいます。

で、ここからが本番。

道真公の左遷に関わった人物が次々と不審な死を遂げます。もっとも有名なのが、「清涼殿落雷事件」です。清涼殿という醍醐天皇がいる場所での太政官会議の場に雷が直撃します。その中で藤原清貫が衣服に引火した上に胸を焼かれて即死。平希世も顔を焼かれて瀕死状態となり程なく死亡。落雷は隣の紫宸殿にも走り、美努忠包が髪を、紀蔭連が腹を、安曇宗仁が膝を焼かれて死亡。醍醐天皇も惨状を目の当たりにして体調を崩し、3ヶ月後に崩御します。

道真公恐ろし。

この後も天変地異が相次ぎ、落雷が京都の町にふりそそぎます。その頃から、「道真公の怨念ではないか?」との噂が流れ始めます。同時に奇妙なことがおこります。道真公の所領であった桑原だけは雷が落ちませんでした。噂は瞬く間に都中に広まり、雷が鳴ると「くわばら くわばら」と唱えるようになりました。道真公は雷神として祀られることになります。
そして清涼殿落雷事件があった6月26日は「雷記念日」となってます。

道真公強し。ということでその恩恵のあずかるべく、パワースポットの桑原町へ行きます。

桑原町 No1

京都地方裁判所の前の、丸太町通りそのものです。誰も住んでません。

御所や裁判所の敷地も一部含まれますが、丸太町通りとその歩道が本体です。

桑原町 No2

石碑か駒札でもあるのかと探しましたが、見当たりませんでした。

上の画像に「くわばら くわばら」と唱えてください。
きっと道真公のお力で雷除けになるでしょう。

アクセス

  • 京都市バス「裁判所前」下車 目の前

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